東京高等裁判所 昭和51年(う)370号 判決
被告人 祥雲肇子
〔抄 録〕
論旨は、原判決は被告人が原判示のような軽蔑的言辞をもって公然大木金光を侮辱したものと認定、判示しているが、被告人が大木に対し軽蔑の表現をしたのは自宅八畳の居間又は廊下において、密室同然の庭を隔ててしたものであり、かつ、不特定、多数の人々に聞えるような大声でしたものではないから、本件は刑法二三一条に規定する「公然」の要件を欠いており、原判決には同条の解釈適用を誤った違法があるというのである。そこで検討するに、同条にいう「公然」とは、音声等が不特定又は多数人の視聴に達せしめ得る状態であれば十分であると解されるところ、原判決の挙示する各証拠を総合、判断すれば、被告人の原判示所為が「公然」となされたものであることは明らかである。とくに、被告人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は原判示の期間、日に四、五回隣りの大木と朝雨戸を開けて顔を合わせたとき大木に向って、原判示のように「カバ」、「チンドン屋」、「キョロ」、「法律違反者」などと言ったが、かように言った場所は自宅の縁側からであり、大きな声で言ったから周囲の他家の人に聞えたと思う旨述べており、弁護人側の原審証人大津マツも同証人は昭和四八年四月ころから同五〇年一二月一五日ころまで大木方の東側の住宅に居住していたものであるが、自分の家の中で被告人と大木とが毎日のように怒鳴り合っているのを聞いており、とくに被告人が大木に対し、原判示のように「どぶねずみ云々」と言ったのを聞いたことがあると供述しており、司法警察員作成の捜査報告書によると、原審証人大木金光の作成図面により被告人宅東側の隣人と認められる榎本静江は、昭和四九年中自宅において被告人と大木とが大きな声で口論し合っており、被告人が大木に対し、「ごまかし男」などと言うと、大木が被告人に対し「くそばば、早くくたばれ、死んでしまえ。裁判で負けた」というようなことを言っているのを聞いたことがあること、同じく隣人の一人である西村和子も昭和四九年中自宅において被告人が大木に対し原判示のように「ごまかし男」などと言うと、大木の方で「くそばば、早く死んじまえ、裁判で負けたくせに」などと言って口論し合っているのを聞いたことがあるというのであって、以上の諸証拠により明らかな事実関係からすれば、被告人が大木に対する軽蔑的言辞を発した場所が所論のように被告人方自宅の内部であったとしても、近隣の居住者らが各自宅においてそれを聴取しているものである以上、本件は刑法二三一条の公然性の要件を十分満たしているものと解するのが相当である。所論は、原審の認定したところと異なる事実関係を前提とした独自の見解というのほかなく、被告人につき原判示のような侮辱罪の成立を認めた原審の認定、判断は相当であって、事実誤認ないし所論のような法律の解釈、適用の誤りがあるということはできない。論旨は理由がない。
(服部 藤井 山木)